ロストメディアとなっている「アルバート・フィッシュが処刑の数時間前に書き残したメモ」について調べました。
殺人鬼のアルバート・フィッシュは、1936年1月16日に電気椅子で処刑されました。
処刑される数時間前に、弁護士のジェームズ・デンプシー(James Dempsey)に数枚の手書きのメモを渡したと言われています。
しかし、デンプシー弁護士はこのメモを「絶対に公開しない」と断言しました。
このメモは今日に至るまでロストメディアとなっており、内容は明らかになっていません。
このアルバート・フィッシュが書き残したメモについて、調べた内容を以下にまとめます。
アルバート・フィッシュについて
アルバート・フィッシュは殺人鬼の中でも有名なので、多数サイトで紹介されています。
参考として、いくつかの記事のURLを下記に掲載します。
・HISTORY
https://www.history.com/this-day-in-history/january-16/the-moon-maniac
・Dead Men Do Tell Tales
https://web.archive.org/web/20110608130819/http://www.prairieghosts.com/fish.html
・マジソンズ博覧会
https://www.madisons.jp/murder/text/fish.html
・Wikipedia(英語版)
https://en.wikipedia.org/wiki/Albert_Fish
アルバート・フィッシュはどのような人物なのか、簡単に要点をまとめます。
・1870年5月19日、アメリカ合衆国のワシントンD.C.に生まれました。彼の家系には精神疾患者が多くいたそうです。
・1875年に父親が亡くなってから、一時期は孤児院で生活していました。
孤児院で頻繁に身体的虐待が行われましたが、彼はこの虐待行為を性的嗜好として捉えていたそうです。
・1898年、9歳年下のアンナ・メアリー・ホフマン(Anna Mary Hoffman)と結婚し、6人の子どもが生まれました。結婚生活は1917年まで(約19年間)続きました。
・離婚後、フィッシュは異常行動が目立つようになりました。
→股間や腹部に針を刺す自傷行為を始める
→ライターオイルを染み込ませた綿を肛門に入れて火をつける
→子供とその友人たちに鋲の付いた板を渡し、フィッシュ自身の尻を叩くように命じる
など
・1928年5月25日の新聞の求人広告で、エドワード・バッド(Edward Budd)という18歳の青年が職を探しているのを見つけ、数日後に会いに行きました。
その際にグレース・バッド(Grace Budd)という10歳の少女と出会いました。
・フィッシュは両親に「姪の誕生日パーティーにグレースを連れていきたい」と伝え、グレースを連れ出しました。
・その後、グレースを絞殺し、遺体の殆どを食したそうです。
・1934年11月、グレースの両親に匿名で手紙を送り、この手紙がきっかけで逮捕されました。
・1936年1月16日、フィッシュは電気椅子に処されました。
処刑の数時間前に書き残したメモ
Wikipediaや他の複数記事によると、処刑の数時間前にメモを書き残し、弁護士のジェームズ・デンプシーに渡しています。
しかし、デンプシーはこのメモの公開を拒否しています。
At a meeting with reporters after the execution, Fish’s lawyer James Dempsey revealed that he was in possession of his client’s “final statement”. This amounted to several pages of hand-written notes that Fish apparently penned in the hours just prior to his death. When pressed by the assembled journalists to reveal the document’s contents, Dempsey refused, stating, “I will never show it to anyone. It was the most filthy string of obscenities that I have ever read.”
https://en.wikipedia.org/wiki/Albert_Fish
処刑後の記者会見で、フィッシュの弁護士ジェームズ・デンプシーは、自身が依頼人の「最後の声明」を所持していることを明かした。それは、フィッシュが死の直前の数時間に手書きで書き残した、数ページにわたるメモであった。
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集まった記者たちがその内容を明かすよう求めたが、デンプシーはこれを拒否し、こう述べた。
「私は誰にもそれを見せるつもりはありません。あれは私がこれまで読んだ中で最も卑猥な罵詈雑言の羅列でした。」
内容が卑猥な罵詈雑言の羅列だった為、公開を拒否したそうです。
この出来事は本当にあったのでしょうか。
調べた限り、この出来事を記した最も古い出典は、1973年に出版された「Bloodletters and badmen」という書籍でした。

書籍名:Bloodletters and badmen
著者:ジェイ・ロバート・ナッシュ(Jay Robert Nash)
出版年:1973年
アーカイブ:https://archive.org/details/bloodlettersbadm0000unse/
この書籍から、書き残したメモに関する記述を抜粋します。
While the old man’s corpse was being wheeled to the autopsy room, one of the defense attorneys met with reporters. In his hand he held Albert Fish’s last statement, several hand-written pages the old man had scribbled only hours before his death. “I shall never show it to anyone,” the lawyer said. “It was the most filthy string of obscenities that I have ever read.”
https://archive.org/details/bloodlettersbadm0000unse/page/198/mode/2up
老人の遺体が検死室へ運ばれている間、弁護側の弁護士の一人が記者たちと面会した。
google翻訳
彼の手にはアルバート・フィッシュの「最後の声明」が握られていた。 それは、フィッシュが死の数時間前に書きなぐった数ページにわたる手書きのメモだった。
弁護士はこう語った。「私はそれを誰にも見せるつもりはありません。あれは私がこれまで読んだ中で最も卑猥な罵詈雑言の羅列でした。」
「Bloodletters and badmen」は、様々な犯罪者を解説した百科事典的な内容となっています。
事実ベースで記述している可能性が高いので、デンプシー弁護士がメモを受け取り、そして公開しなかったという出来事は事実だと考えられます。
因みに、フィッシュの処刑当時の報道記事も出来る限り確認しましたが、この書籍よりも古い出典は確認できませんでした。
処刑当時の報道記事
フィッシュが処刑された時の報道記事を2点見つけましたので、参考として以下に掲載します。
2点とも、発行日は1936年1月17日です。
【報道記事①:ALBANY EVENING NEWS】

FISH GOES LAST MILE TO CHAIR
Child Slayer’s Crime Almost Forgotten as He Goes to Die
Ossining—Albert Fish went to his doom last night in Sing Sing’s death house, a weary old man whose grisly crime was almost forgotten.
It was Dec. 13, 1934, when the spotlight shifted from Hauptmann to Albert Fish, kidnapper and murderer of Grace Budd. Behind the millions of words written about his butchery of a 6-year-old West Side schoolgirl and his self-torture, the fate of Bruno Hauptmann went into almost complete eclipse.
Last night Sing Sing’s electric chair was waiting for Fish, in whose abdomen were 27 needles.Death Loses Its Thrill
Bent, bleary and bearing the full burden of his 66 years, he seemed scarcely able to totter the few steps down the corridor that has but one ending. His thin lips quivered constantly in an almost meaningless mumble.
https://www.rarenewspapers.com/view/675326?imagelist=1&srsltid=AfmBOoqAmPIrn7TZDLMTH3ctjtpZrgLwwJ2WP1fLW5pcYKTKKm2RAMEY
“I don’t know why I’m here. Everything seems so hazy. This is a sad day for me.”
He seemed to have forgotten that, in his eagerness for self-torture, he had looked forward to death in the electric chair as the supreme thrill.
For his noon meal, he got a t-bone steak, toast, sliced tomatoes, french fried potatoes and tea. For dinner, roast chicken, french fried potatoes and tea. He refused tobacco.
フィッシュ、最後の道を歩み電気椅子へ
子ども殺しの罪、死を前にしてほとんど忘れ去られる
Ossining — アルバート・フィッシュは昨夜、シンシン刑務所の死刑室で最期を迎えた。彼は疲れ切った老人であり、その恐ろしい犯罪もほとんど忘れ去られていた。
それは1934年12月13日のことであった。世間の注目がハウプトマン事件からアルバート・フィッシュ、すなわちグレース・バッド誘拐殺人犯に移ったときだった。6歳のウェストサイドの少女に対する残忍な殺害と自身への拷問について、膨大な記事が書かれた。その後、ブルーノ・ハウプトマンの運命に世間の関心が移ると、フィッシュの事件はほとんど完全に忘れ去られてしまった。
昨夜、シンシン刑務所の電気椅子がフィッシュを待っていた。彼の腹部には27本の針が刺さっていた。死が持つスリルも失われる
66歳の重荷を背負い、ぼんやりとして疲れ切った彼は、人生の終わりへと続くわずかな距離を歩むことすらかろうじてできるほどだった。彼のやせ細った唇は、ほとんど意味のないつぶやきを絶え間なく漏らしていた。
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「なぜ自分がここにいるのかわからない。すべてがぼんやりしている。今日は私にとって悲しい日だ。」
彼は、かつて自分自身を痛めつけることに熱中し、電気椅子での死を究極のスリルとみなしていたことを、忘れてしまったかのようだった。 最後の食事には、Tボーンステーキ、トースト、スライストマト、フレンチフライ、紅茶を選んだ。夕食にはローストチキン、フレンチフライ、紅茶。タバコは断った。
【報道記事②:NEW YORK TIMES】

SLAYER OF BUDD GIRL DIES IN ELECTRIC CHAIR
Albert Fish, 65, Pays Penalty at Sing Sing — Bronx Negro Also Is Put to Death.
OSSINING, N. Y., Jan. 16.-Albert Fish, 65 years old, of 55 East 128th Street, Manhattan, a house- painter who murdered Grace Budd, 6, after attacking her in a Westchester farmhouse in 1928, was put to death tonight in the electric chair at Sing Sing prison. John Smith, 41, of 203 West 144th Street, Manhattan, Negro restaurant proprietor, who was convicted of killing James Wilson in a fight in the Bronx, preceded Fish in the chair by a few minutes.
Fish entered the death chamber with his hands clasped in prayer at 11:06 P. M. He was pronounced dead at 11:09. Smith swung into the chair on a crutch at 11:01 and was dead three minutes later. The Rev. Anthony Petersen, Protestant chaplain at the prison, accompanied each condemned man from his cell to the chamber. Neither had anything to say before he died.
Fish arrived at Sing Sing last March 25, after his conviction in White Plains of having lured Grace Budd from her tenement home on the lower West Side of Manhattan June 3, 1928, taking her to an unoccupied house in Greenburgh and murdering her.
Smith entered the prison here last June 28. His lower right leg was amputated years ago.
https://www.nytimes.com/1936/01/17/archives/slayer-of-budd-girl-dies-in-electric-chair-albert-fish-65-pays.html
バッド少女殺し、電気椅子で死す
アルバート・フィッシュ(65)、シンシン刑務所で刑を執行 — ブロンクスの黒人男性も死刑に
オシニング、ニューヨーク州、1月16日
マンハッタン東128丁目55番地在住のアルバート・フィッシュ(65歳)は、1928年にグレース・バッド(10歳)を殺害した後、ウェストチェスター郡で彼女に暴行を加えたとして、有罪となり、シンシン刑務所の死刑執行室で死刑に処された。マンハッタン西138丁目538番地の黒人レストラン経営者であるジョン・スミスは、ブロンクス区の喧嘩でジェームズ・ウィルソンを殺害した罪で有罪となり、フィッシュよりも先に死刑にされた。
フィッシュは午後11時6分、両手で祈りを捧げながら死刑執行室に入り、11時9分に死亡が宣告された。
松葉杖をついているスミスは、11時1分に椅子に勢いよく座り、3分後に死亡した。刑務所のプロテスタント系牧師、アンソニー・ピーターセン牧師は、死刑囚一人一人を独房から死刑執行室まで付き添った。二人とも、息を引き取る前に何も言うことはなかった。
フィッシュは、1928年6月3日にマンハッタンのローワー・ウエスト・サイドにあるグレース・バッドのアパートから彼女を誘い出し、グリーンバーグの空き家に連れて行き、そこで殺害した罪で有罪判決を受けていた。ホワイト・プレインズ刑務所で有罪判決を受けた後、昨年3月25日にシンシン刑務所に収監された。
スミスは昨年6月28日にこの刑務所に入った。彼の右足は16年前に切断されていた。
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両記事とも、処刑の数時間前に書き残したメモに関する記載はありませんでした。
他の報道記事は残念ながら確認できませんでした。
もしかしたら他の新聞社の報道記事に、書き残したメモに関する記載があるかもしれませんが、現時点では不明です。
他にも公開されていない文書がある?
フィッシュは生涯を通して様々な女性たちに猥褻な手紙を送り続けていたそうです。
~中略~
Throughout his life, he would write obscene letters to women whose names he acquired from classified advertising and matrimonial agencies.
~中略~
Fish was arrested in May 1930 for “sending an obscene letter to a woman who answered an advertisement for a maid.” Following that arrest and another in 1931, he was sent to the Bellevue Hospital for observation.
~中略~
https://en.wikipedia.org/wiki/Albert_Fish
~中略~
生涯を通じて、彼は求人広告や結婚相談所で名前を入手した女性たちにわいせつな手紙を書き続けた。
~中略~
フィッシュは1930年5月、「メイド募集の広告に応募した女性にわいせつな手紙を送った」として逮捕された。この逮捕と1931年の別の逮捕の後、彼は観察のためにベルビュー病院に送られました。
~中略~
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猥褻な手紙を送ったことが原因で逮捕もされています。
トロイ・テイラー(Troy Taylor)が管理人をしている「GHOSTS OF THE PRAIRIE」というサイトによると、逮捕された際に証拠として押収された手紙も公開が拒否されているそうです。
参考として、以下に該当部分を引用します。
He even answered classified ads placed with widows seeking husbands. His letters — 46 of them were recovered and entered as evidence at his trial — were so obscene and vile that the prosecution refused to make them public. Basically, Fish told the lovelorn ladies that he was not as interested in marriage as he was in their willingness to paddle him. None of the women accepted his offers.
https://web.archive.org/web/20110608130819/http://www.prairieghosts.com/fish.html
未亡人募集広告に応募することさえあった。彼の手紙――46通が回収され、裁判で証拠として提出された――はあまりにもわいせつで下品だったため、検察は公開を拒否した。フィッシュは、失恋した女性たちに、結婚よりもむしろパドルを振るってくれることに興味がある、と伝えた。どの女性も彼の申し出を受け入れなかった。
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猥褻な手紙について、検察は公開を拒否したそうです。
この出来事が事実なら、この大量の猥褻な手紙もロストメディアとなります。
しかし、裁判でこの手紙をどうように扱っていたか等の情報は限りなく少ないため、本当に公開を拒否したのかどうかは定かではありません。
まとめ
ロストメディアの「アルバート・フィッシュが処刑の数時間前に書き残したメモ」について調べた内容をまとめます。
・アルバート・フィッシュは電気椅子で処刑される数時間前に数枚のメモを書き残しており、このメモを弁護士のジェームズ・デンプシーに渡しました。
・デンプシーは「私がこれまで読んだ中で最も卑猥な罵詈雑言の羅列だった」という理由から、公開することを拒否しました。
このメモがロストメディアとなっており、何が書かれていたのかは不明です。
・デンプシーが公開を拒否した出来事について、調べた限り、最も古い出典は1973年に出版された「Bloodletters and badmen」という書籍でした。
処刑時の新聞記事(「ALBANY EVENING NEWS」、「NEW YORK TIMES」)を確認しましたが、フィッシュの書き残したメモに関する記載はありませんでした。
・フィッシュが1930年に逮捕された時に押収された「猥褻な手紙」も非公開となっているという情報がありますが、真相は定かではありません。


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