1593年にフィリピンからメキシコへ瞬間移動したと言われている兵士について調べてみた

事件

世界には不可思議な事件が数多くあります。

その中のひとつに、1593年に瞬間移動をした兵士に関する事件があります。

こちらの事件の詳細について調べてみました。

事件の概要

事件の概要は、Wikipediaの「1593年の瞬間移動した兵士の伝説」という記事にまとめられています。
https://ja.wikipedia.org/wiki/1593%E5%B9%B4%E3%81%AE%E7%9E%AC%E9%96%93%E7%A7%BB%E5%8B%95%E3%81%97%E3%81%9F%E5%85%B5%E5%A3%AB%E3%81%AE%E4%BC%9D%E8%AA%AC

他に、この瞬間移動の当事者である「ヒル・ペレス(又はギル・ペレス)の記事もありましたので、併せて載せておきます。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%9A%E3%83%AC%E3%82%B9


上記記事などから、事件の概要をまとめます。
・事件は1593年10月下旬フィリピン(当時、スペイン領)のマニラで起こりました。

第7代フィリピン総督のゴメス・ペレス・ダスマリニャス(スペイン語表記:Gómez Pérez Dasmariñas)がモルッカ諸島へ遠征している最中に、中国人の漕ぎ手に暗殺されてしまいました

・マニラにある総督官邸を警備していた兵士のひとりであるヒル・ペレスは、ゴメス・ペレス総督の暗殺後も官邸の警備を続けており、新総督が任命されるのを待っていました。

・ヒル・ペレスは眩暈と疲労により少しの間目を瞑っていましたが、再び目を開くと見覚えのない場所に立っていました

・暫くして、そこがメキシコ(当時、ヌエバ・エスパーニャ副王領)であることに気付きました。

・メキシコの衛兵に捕らえられたヒル・ペレスは、自身がフィリピンの兵士であることゴメス・ペレス総督の暗殺事件のことを説明しました(メキシコでは、ゴメス・ペレス総督の暗殺がまだ伝えられていなかった)。

・メキシコ当局は彼を脱走兵(もしくは悪魔の下僕)という嫌疑をかけ、投獄しました

・数か月後、フィリピンからガレオン船が来航してきて、ゴメス・ペレス総督の暗殺のニュースが知らされました。また、乗員のひとりがヒル・ペレスと知り合いであることを認めたことから、彼は釈放されて、ガレオン船に乗って帰っていきました。

ジャンヴァー氏の記述内容

上記のヒル・ペレスの事件は、アメリカ出身の作家であるトマス・アリボーン・ジャンヴァー(英語表記:Thomas Allibone Janvier)が、1908年ハーパーズ・マガジンという月刊誌にて記載していました。

ジャンヴァー氏の経歴はWikipedia英語版に記載しています。
https://en.wikipedia.org/wiki/Thomas_Allibone_Janvier

ハーパーズ・マガジンについてもWikipediaの記事がありましたので、併せて載せておきます。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%BC%E3%83%91%E3%83%BC%E3%82%BA%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%82%AC%E3%82%B8%E3%83%B3

ジャンヴァー氏はヒル・ペレスの瞬間移動の事件のことを「Legend of the Living Spectre(日本語訳:生霊伝説)」というタイトルで詳述しています。

ハーパーズ・マガジンの1908年12月号から1909年5月号をまとめたアーカイブ「Legend of the Living Spectre」が掲載していました。
https://babel.hathitrust.org/cgi/pt?id=mdp.39015056097309&view=1up&seq=99

また、ジャンヴァー氏は1910年「Legends of the City of Mexico」という書籍を出版しています。

その書籍にも「Legend of the Living Spectre」が掲載していることを確認しました。
https://archive.org/details/legendsofcityofm00janvrich/page/96/mode/2up?view=theater

内容としましては、冒頭で紹介しましたヒル・ペレスの瞬間移動のことが記されています。

そして、この事件の最後を下記のように綴っています。

To my mind, Senor, it seems that there is more of this story that ought to be told. For myself, I should like to know why the Familiars of the Holy Office did not deal a little more severely with a case that certainly had the devil at both the bottom and the top of it; and, also. I should like to know what became of Gil Perez when he got back to Manila in the galleon and there had to tell over again about his relations with the devil in order to account for his half year’s absence from duty without leave. But those are matters which I never have heard mentioned; and what I have told you is all that there is to tell.

https://archive.org/details/legendsofcityofm00janvrich/page/106/mode/2up?view=theater

私には、この話にはもっと語られるべきことがあるように思われるのです。私自身は、聖職者庁の神官たちが、底辺にも頂点にも悪魔がいるような事件に、なぜもう少し厳しく対処しなかったのか知りたいし、また、その悪魔がどうなったのかも知りたい。ガレオン船でマニラに戻ったギル・ペレスがどうなったのか半年間の無断欠勤を説明するために悪魔との関係を語り直さなければならなかったのか、知りたいものである。しかし、そのような話は聞いたことがない。私があなたに話したことが、話すべきことのすべてである。

DeepLを元に翻訳

オブレゴン氏の記述内容

ジャンヴァー氏が記述したヒル・ペレスの事件は、メキシコの作家であるルイス・ゴンザレス・オブレゴン(スペイン語表記:Luis González Obregón)が1900年に出版した「México viejo: noticias históricas, tradiciones, leyendas y costumbres」という書籍の内容を元にしていると言われています。

因みに、オブレゴン氏の経歴はWikipediaスペイン語版に記載しています。
https://es.wikipedia.org/wiki/Luis_Gonz%C3%A1lez_Obreg%C3%B3n

こちらの書籍の内容としては、メキシコの歴史的記録、民俗、伝説などをまとめたものです。

オブレゴン氏の「México viejo: noticias históricas, tradiciones, leyendas y costumbres」のアーカイブから、ヒル・ペレスの瞬間移動の件と見られる記載を見つけました。
https://archive.org/details/mexicoviejonotic00gonz/page/184/mode/2up

“ Es  digno  de  ponderación  — concluye  Fr.  Gaspar  de  San Augustín — ((ue  el  mismo  día  que  sucedió  la  tragedia  de  Gómez  Pérez, se  supo  en  México  por  arle  de  Satanás  : de  quien  valiéndose  algunas mujeres  inclinadas  á semejantes  agilidades,  trasplantaron  á la  Plaza de  México  á vn  Soldado  (jue  estaba  baziendo  posta  vna  noche  en  vna Garita  de  la  Muralla  de  Manila,  y fue  executado  tan  sin  sentirlo  el Soldado,  que  por  la  mañana  le  bailaron  passeandose  con  sus  armas en  la  Plaza  de  México,  preguntando  el  nombre  á cuantos  pasaban. Pero  el  Santo  Oficio  de  la  inquisición  de  a(|uella  ciudad  le  mandó bolber  á estas  islas,  donde  le  conocieron  muchos,  que  me  aseguraron la  certeza  de  este  sucesso ”

https://archive.org/details/mexicoviejonotic00gonz/page/184/mode/2up

「熟考する価値がある」ガスパル・デ・サン・アウグスティン神父は結論付けている。ゴメス・ペレスの悲劇が起こったのと同じ日に、サタンの手によってメキシコで知られるようになったこと。そのような能力に傾倒する一部の女性を利用して、メキシコ広場に兵士を移動させた。(ある夜、マニラの壁の見張り台にいた兵士は、それを感じさせないように執行され、朝には、彼が武器を持ってメキシコ広場を通り、通りがかった人たちの名前を尋ね歩いた)。しかし、その都市の異端審問の聖庁は、彼が多くの人に知られているこの島々に戻るよう命じ、彼らはこの出来事が確かであることを私に保証したのです。

DeepLを元に翻訳

フィリピンで起きたゴメス・ペレス総督の暗殺事件がメキシコにも知れ渡るようになった原因は、サタン(悪魔)によってマニラの兵士が瞬間移動させられたからという結論に至っています。

こちらの内容には、兵士の名前がヒル・ペレスということは一切記載されていませんでした

アウグスティン氏の記述内容

オブレゴン氏の記述内に登場した人物であるガスパル・デ・サン・アウグスティンについて、Wikipediaのスペイン語版に記事がありました。
https://es.wikipedia.org/wiki/Gaspar_de_San_Agust%C3%ADn

アウグスティン氏が1698年に出版した「Conquista temporal y tspiritual de las Islas Philipinas」という書籍に、瞬間移動した兵士に関する記載があります。

「Conquista temporal y tspiritual de las Islas Philipinas」のアーカイブから確認することができました。

下記URLのpdfより502ページ目に記載がありました。
http://bdh-rd.bne.es/viewer.vm?id=0000014663&page=1

Es digno de ponderación, que elmifmo dia que fücedióla trage-día de Gómez Pérez -, fe fupo en Mexico por arte de Satanás; de quien valiendofe algunas mugeres inclinadas áfemejantes agilidades, trafplantaton ala Plaza deMexi-co à vnSoldado que eftaba hazien do pofta vna noche en vna Garita de la muralla de Manila, y fue executado tan fin fentirio el Sóldado,que por la mañana le hallaron paífeandofe con fus armas en la Plazade Mexico , preguntando el nombre á quaritos paífaban.Pe ro el Santo Oficio de la Inquifídonde aquella Ciudad le mandó’ bolver aellas Islas, donde leconocieron muchos, queme aífeguraron la certeza de efte fuceífo. Tuvofe también noticia con brevedad en Efpaña del infortunio del Governador por la India Oriental; yafsi, proveyó fu Mageftád por uceífor á DonJ&ancifco Tello de Guzmán, (以下、解読困難)

http://bdh-rd.bne.es/viewer.vm?id=0000014663&page=1
pdf資料502/592ページ目

ゴメス・ペレスの悲劇の日と同じ日に、彼はサタンによってメキシコに連れてこられ、そのような機敏さに傾いた一部の女性を利用して、今夜同じことをしている兵士をメキシコ広場に連れてきたことは、熟考に値します。このような機敏な動きに傾く女性たちに乗じて、マニラ城壁の見張り箱で一晩休んでいた兵士をメキシコ広場に連れてきたのだが、あまりに見事な出来栄えだったので、朝になってメキシコ広場で武器を持ってパイフアバン(?)の何人かに名前を聞いているところを発見されたのである。 しかし、その都市の異端審問の聖職者は、彼にそれらの島に戻るように命じ、そこで彼は多くの人に会い、この出来事が確かであることを私に保証したのである。また、東インドでの総督の不幸をスペインで知り、Don J&ancifco Tello de GuzmanのためにMageftadを提供し、(以下、解読困難)

DeepLを元に翻訳

アウグスティン氏の記載によると、ゴメス・ペレス総督の暗殺と同じ日に、サタンによってマニラにいた兵士がメキシコに連れてこられたそうです。

モルガ氏の記述内容

更に古い資料としまして、アントニオ・デ・モルガという人物の書籍があります。

モルガ氏は、軍人や弁護士として活躍し、他にフィリピンの代理総督を務めていました

モルガ氏の詳しい経歴はWikipedia英語版にまとめられています。
https://en.wikipedia.org/wiki/Antonio_de_Morga

モルガ氏は1609年「Sucesos de las islas Filipinas」という書籍を出版しています。

こちらの書籍は、スペインのフィリピン植民地化の初期史をまとめた内容です。
https://archive.org/details/ahz9387.0001.001.umich.edu/page/35/mode/1up?view=theater

書籍内容を確認しますと、ゴメス・ペレス総督が暗殺された後についての記載があります。

En este año, no vinieron á la Nueva España navios de las Filipinas; porque habiendo despachado el gober- nador Gómez Pérez, antes que saliera á la jornada del Maluco, la nao San Felipe, y la nao San Francisco, ambas arribaron con temporales : San Felipe al puerto de Sebú, y San Francisco á Manila, de donde no pu- dieron salir, hasta otro año, y en la Nueva España hubo sospecha, por ver faltar los navios, de que en las islas había trabajos; y no faltó quien dijo lo mas de lo que había sucedido. Al mismo tiempo (en la plaza de Méjico) que no se pudo averiguar de donde había salido la nueva (i). La cual se supo con tanta brevedad en España (por la vía de la India) pasando las cartas por la Persia á Venecia, que luego se trató de proveer nuevo gobernador.

<中略>

el cual vino á la Nueva España, en seguimiento de su viaje, en principio del año de no- venta y cuatro, que halló no habían venido los navios, que está dicho faltaron de las Filipinas; pero no se sabía la muerte de Gómez Pérez, ni lo que mas se ha- bía ofrecido : hasta que por el mes de Noviembre del mismo año, vino don Juan de Velasco en el galeón Santiago, que el año antes había sido despachado de la Nueva España, por el Virrey don Luis de Velasco , con el socorro conveniente para las islas, y trujo la nueva de la muerte del gobernador, y como su hijo don Luis Dasmariñas estaba en el gobierno.

https://archive.org/details/ahz9387.0001.001.umich.edu/page/35/mode/1up?view=theater
https://archive.org/details/ahz9387.0001.001.umich.edu/page/38/mode/1up?view=theater

この年、フィリピンから新スペイン(現在のメキシコ)に来た船はなかった。総督ゴメス・ペレスはマルーコ航海に出発する前に、ナオ・サンフェリペ号とナオ・サンフランシスコ号を派遣したが、いずれも嵐で航行不能になったからだ。サンフェリペはセブ港へ、サンフランシスコはマニラへ、そこからまた1年経たないと出られない。新スペイン(現在のメキシコ)では、船がなくなったのを見て、島で何か仕事があるのではないかと疑われ、何が起きたかについて最も詳しく語る者が後を絶たないほどだった同時に(メキシコの広場で)その情報がどこから来たのか、確認することはできなかった。このことは、ペルシャを経由してベニスに送られた手紙によって、(インド経由で)すぐにスペインに知れ渡ったので、スペインは新しい総督を用意しようとしたのである。

<中略>

年明けに、彼の航海を追って新スペイン(現在のメキシコ)に来た人、4人は、フィリピンから不足していると言われている船が来ていないことを知ったが、ゴメス・ペレスの死は知られていなかったし、他に何が提供されていたかも知らなかった。
同年11月になると、ドン・フアン・デ・ベラスコが、前年に総督ドン・ルイス・デ・ベラスコがヌエバ・エスパーニャから派遣したガレオン船サンティアゴ号に乗って、島々に必要な援助を携えてやってきて、総督の死と、その息子ドン・ルイス・ダスマリニャスが統治していることを知らせたのである。

DeepLを元に翻訳

ゴメス・ペレス総督が暗殺された年に、フィリピンからメキシコへ渡った船はなかったそうです。

メキシコでは、フィリピンから船が来ないことについて様々な噂が立っていましたが、どれも確証に至るものはありませんでした

記述によると、ペルシャ(現在のイラン)やヴェニス(イタリア共和国の都市ヴェネツィア)を経由した手紙によって、スペイン本国には知れ渡っていたそうです。

ゴメス・ペレス総督の死がメキシコに伝えられたのは、暗殺の翌年である1594年の11月のことでした。

モルガ氏の書籍には、瞬間移動した兵士に関する記述は見つかりませんでした

時系列

事件や書籍が複数出てきましたので、時系列順に整理します。

・1593年10月25日
フィリピンでゴメス・ペレス・ダスマリニャス総督が中国人に暗殺される(モルッカ諸島へ遠征中)

・1593年10月25~26日?
ヒル・ペレスという兵士がフィリピンからメキシコに瞬間移動した?
(他資料によると24日という情報もある)

・1594年11月
ゴメス・ペレス・ダスマリニャス総督の死がメキシコに伝えられる(モルガ氏の記述より)

・1609年
アントニオ・デ・モルガが「Sucesos de las islas Filipinas」という書籍を出版する
 →ヒル・ペレスという兵士の瞬間移動に関する記載がない

・1698年
ガスパル・デ・サン・アウグスティンが「Conquista temporal y tspiritual de las Islas Philipinas」という書籍を出版する
 →サタンによってフィリピンからメキシコに連れてこられた兵士に関する記載がある
 →兵士の名前については記載がない

・1900年
ルイス・ゴンザレス・オブレゴンが「México viejo: noticias históricas, tradiciones, leyendas y costumbres」という書籍を出版する
 →サタンによってフィリピンからメキシコに瞬間移動した兵士に関する記載がある
 →兵士の名前については記載がない
 →内容はガスパル・デ・サン・アウグスティンの記述から引用している

・1908年
トマス・アリボーン・ジャンヴァーがハーパーズ・マガジンという月刊誌に、瞬間移動した兵士に関して詳述する(タイトル名:Legend of the Living Spectre)。
 →フィリピンからメキシコに瞬間移動した兵士に関する記載がある
 →兵士の名前はギル・ペレス(Gil Perez)として紹介されている

結論

フィリピンからメキシコへ瞬間移動したギル・ペレスという兵士の話は創作だと考えられます。

瞬間移動に関する話が登場したのは、ゴメス・ペレス総督が暗殺されてから100年以上経過してからです。

この100年以上の期間に、物語に様々な脚色がされてしまったのだと推測されます。

ゴメス・ペレス総督の暗殺から16年後に出版されたモルガ氏の書籍には、瞬間移動した兵士の話が存在しないことや、翌年の11月に総督の死がメキシコに伝えられたこと等、現実に則した記載がされていることから、こちらの内容が事実である可能性が高いと考えられます。

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