検索してはいけない言葉の「Anatoly Slivko graphic」を検索してみた

検索してはいけない言葉

検索してはいけない言葉の「Anatoly Slivko graphic」を検索しました。

検索すると、複数の少年が殺害されている動画が出てきます。

「Anatoly Slivko(アナトリー・スリフコ)」とは、この映像を撮影した人物の名前です。

Live Goreというサイトに動画が掲載されていました。
参考としてURLを載せておきます。
https://www.livegore.com/103347/anatoly-slivko-tapes?show=103347

Documenting Realityにも動画が掲載されているようです。
https://www.documentingreality.com/forum/f166/serial-killer-anatoly-slivko-45091/
確認しようとしましたが、閲覧制限の為に確認できませんでした。

動画の内容

Live Goreに掲載している動画の要点を抜粋します。
少年が複数人出てきますので、登場順に番号を割り振りました。

(動画時間:6分46秒)
0:00~
バスから降りた少年たちが、森の中を歩いたり、寛いだりしている映像が流れる
ボーイスカウトのように見える

2:03~
少年①の首と両手と両足にロープが縛られている
両足に縛られているロープを引っ張られ、首が締まる状態になる

2:23~
仰向けになった少年①が、両足を藻掻くように動かしている
そして、動かなくなる

2:51~
少年②が、スリフコ氏の手伝いの元、首を吊る

3:04~
スリフコ氏が、項垂れている少年②を地面に降ろす
抱えて、何処かに運んでいく

3:31~
少年③が仰向けで倒れている

3:43~
少年③が俯せで倒れている
少年③の足元には靴が多数並んでいる

3:54~
少年④がスリフコ氏に抱えられて登場する
この少年④もスリフコ氏の手伝いの元、首を吊る

4:25~
少年⑤が首にロープを縛っている状態で登場する
こちらも同様に首を吊る

4:57~
少年⑥は首を吊っている最中に、逃れようとして木に足を引っ掛けるが、スリフコ氏に制止される

5:12~
少年⑦が崖から落ちて血塗れになる

5:18~
少年⑧が自らの首にロープを括る
スリフコ氏の手伝いの元、首を吊る

5:41~
項垂れた少年⑧が地面に降ろされる

5:49~
少年⑨が横になっている
スリフコ氏が近寄ってきて、少年⑨の体勢を変えている

6:08~
ノコギリで少年⑨の足を靴ごと切っている

6:24~
両足を燃やしている

6:30~
少年⑩の右膝に刃物を振り下ろして、切断している

スリフコ氏について

こちらの映像を撮影したスリフコ氏について、Wikipedia英語版に詳細が記載していました。
https://en.wikipedia.org/wiki/Anatoly_Slivko

他に、マジソンズ博覧会というサイトにも詳細が記載されていました。
https://www.madisons.jp/murder/text3/slivko.html


複数サイトからの情報をまとめます。

Anatoly Yemelianovich Slivko(アナトリー・イェメリヤーノビッチ・スリフコ)1938年12月28日に、ソビエト連邦の自治共和国である「ダゲスタン自治ソビエト社会主義共和国」のIzerbash(イゼルバシュ)という地域に生まれました。
※「ダゲスタン自治ソビエト社会主義共和国」は、現在の「ダゲスタン共和国」のことです。

・スリフコ氏は結婚しており2人の子供がいましたが、自身が同性愛者であることを自覚していました。

・スリフコ氏の性癖異常のきっかけは、1961年に目撃した交通事故です。飲酒運転をしていたオートバイが歩行者の集団に突っ込み、ヤングパイオニアの制服を着ていた少年が犠牲になりました。スリフコ氏はこの出来事で性的に興奮したと回想しています

因みに、「ヤングパイオニア」とは、ソビエト連邦発祥のボーイスカウトのようなものだと認識しています。
ヤングパイオニアの制服は、赤いネッカチーフを特徴としています
下記URLより参照しました。
https://www.youngpioneertours.com/what-is-young-pioneer/


・スリフコ氏はこの事故を追体験する為に、自身が運営していたボーイスカウト(「Chergid」という名前の少年向け観光クラブ)を利用して、子供たちに首を括らせたり、時には殺害をしていました

・少年たちの信頼を得たうえで、「身長を伸ばす方法がある」「最初は苦しいけど、すぐに楽になる」「僕が蘇生させるので大丈夫」等と言い寄って、首吊りを実施させていました。

・スリフコ氏は、首吊りで意識を失った少年を愛撫したり撮影したりして、性的欲求を満たしていました

1964年から1985年にかけて、43人の少年を説得して首吊りをさせたと言われています。そのうち36名は蘇生させられましたが、7名は蘇生できずに死亡しました

1985年12月、スリフコ氏はロシア連邦のスタヴロポリという都市にある自宅で逮捕されました。そして、1986年6月死刑を宣告され、ノヴォチェルカスク刑務所に収監されました。

1989年9月16日、スリフコ氏は銃殺刑に処されました

コメント

タイトルとURLをコピーしました